跳躍

01

 あまりに冴えない気分を振り払いたくて、少女はジャンプしてみようと思った。飛び上がって、トーンと軽く着地すれば、その振動の心地よさが体から何か悪いものを払い落としてくれるんじゃないかと、そんな気がしたのだ。

02

 宙に浮かんでいる一瞬の気持ちよさって確かにある。地から足が離れた瞬間、離れたのは足だけではなく、今まで自分を地に繋ぎ止めていた何ものかもまた切り離され、自由に身軽になったと感じる。ほんの一瞬だけね。でもその一瞬が楽しいから、何度でも繰り返したくなる。
 そうだったよね、そうそう。小さかった頃は、縄跳びやゴム飛びやケンケンパー、そういった遊びが大好きだった。毎日飛んだり跳ねたりのそんな遊びをしていた頃は、今みたいに退屈するなんてことはなかった。友達が飽きて他の遊びに切り替えたり、または家に帰ってしまっても、少女はひとりで黙々と跳び続け跳ね続けていた。そんな遊びをしている時には、少女はひとりぼっちになってしまってもちっとも寂しいとは感じなかった。かえってひとりで飛んでいる時のほうが、友達に気を使うこともなく、跳躍している瞬間の自分自身の感覚の中に没頭できていいとさえ思っていたのではなかったか。

03

 どうしてだろう。いつのまにか自分は飛ばなくなった。かつてそんな遊びに熱中していたことを今まですっかり忘れていた。なぜなのかしら。
 ジャンプは一瞬の快楽だ。それが一瞬だからこそ、全神経を集中していないと、宙に浮いている瞬間の快感を得ることはできない。一瞬の出来事だからこそ、それはずっと少女を魅惑し続けた。気持ちいいと感じた次の瞬間には、もう両足は地面に着地している。とてもものたりないけれど、ものたりないからこそずっと繰り返していられたのだろう。

04

 そう、人は跳躍する時、常に着地まで予想している。
 少女もまた跳躍から着地の瞬間を予想した。以前の少女だったら、きっとそんなことはなかっただろうに。
 でも今は、少女は自分の跳躍を、跳躍そのものよりも着地することを先に想像してしまった。これもやっぱり、冴えない気分のせいかもしれない。
 少女はイメージした。思い切り飛び上がり伸び上がった姿勢を少女はまず思い浮かべた。真横に広げた腕、広がったスカート、足は閉じたまま真っ直ぐに伸びている。その姿勢から、次の瞬間にはもうつまさきが地面に触れ、かかとが触れ、足首を通って体全体に走りかける衝撃を、柔らかに膝で吸収し、なめらかにしゃがみこむ。その映像がスローモーションで、まるで他者から見た視線のように頭の中にリアルに描き出された。

05

 着地した時の姿って、ジャンプする直前の姿ととてもよく似ているのね。もしそこだけを見たら、ジャンプする前なのかした後なのかちっともわからないと思うわ。でも本当は違うはず。だってジャンプする前と後とでは、世界がもう変わっているもの。こんな冴えない気分なんか消えてしまってる筈だもの。時間の矢の向きは決して変わらないのだから。
 そんな空想は束の間。いよいよ実行。
 実行だなんて大袈裟すぎる。ただちょっと飛び上がってみるだけなんだから、リラックスして。
 少女は自分に言い聞かせる。なぜ自分がこんなに緊張しているのかわからない。人が見たらきっと変に思うわ。ほんの少し、ぴょんって飛び上がるだけなのに。それだけのことなのに、どうしてこんなにどきどきしているのだろう。やっぱり気分が冴えないせいね。冴えない気分なのに、それを振り落としてしまうのも怖いと思っているのかしら。

06

 こんな冴えない気分だけれど、でも振り落としてしまったら、わたしは大人になれないような気がする。ちょっと何考えているの、そんな馬鹿なことってあるわけないじゃない。なんでこんなこと思い悩んでいるのだろう。今度こそ実行。大袈裟ね、簡単なのに。
 まず視線を下に落とし顔を地面に近づけて力を蓄える。
 いいわね、思いっきり、さん、はいっ!

07

 跳躍した少女はそのまま天へとのぼってゆき、もう二度と着地することはなかった。見ていた者はひとりもいなかった。

08

跳躍

END
(1999)